パイレックスの店 |
PYREX SHOP |
パイレックスbyコーニングヒストリー |
パイレックスの製造元コーニング社の歴史が開始されたのは、1851年にAmory Houghton(エモリー
ホートン)という人がアメリカのマサチューセッツ州サマヴィルでUnion Glass
Company(ユニオングラスカンパニー)を設立してビジネスを開始したのが最初のようです。当時がどんな時代かピンとこないようでしたら、リンカーン大統領やアメリカ南北戦争の頃よりも前の時代です。ずいぶん昔のことですね。 一部文献によるとBay State Glass Company(ベイステートグラスカンパニー)などを買収しながら大きくなったようですが、その後この会社は1864年に売却しました。そして、同じ年にホートンはニューヨークのブルックリンフリントガラス会社を買収し、1868年にはCorning Flint Glass Works(コーニング フリント グラス ワークス)と改名しました。当時すでに100人の従業員が働いていたそうです。その頃から食器や温度計管も手がけたようです。しかし、厳しい競争の時代に大きな負債を抱かえていたため1871年に設備を売却しなければなりませんでした。 彼の息子ホートンジュニアは優秀なビジネスマンで出世道を進み、マネージャーになりました。彼の戦略は成果をあげ、すぐに設備を購入し1875年にはCorning Glass Works(コーニング グラス ワークス)となったようです。当時製造された製品は鉄道信号ガラス器、温度計管および製薬のガラス器でした。 世界で初めての電球が出来たのは1879年のことですが、このプラントの中でトーマス・エジソンのアイデアのために製造されました。彼の世紀の大発明がコーニング・グラス工場の中で生まれたのです。1907年には自動的に白熱電球を吹く機械が開発されました。会社を躍進させたのは1897年の温度計管材料を精密に製造する有能な機械類の開発でした。1908年に鉄道信号協会は、アメリカ・カナダのすべての鉄道の信号機の基準としてCorningグラスを採用しました。 PYREXとは熱の王様という意味でPYRO(熱い)とREX(王様)というギリシャ語とラテン語を掛け合わせた造語のようです。パイレックスブランドが始まった(商標登録)のは1915年のことですが、実際にはそれ以前から製造していたようです(PYREX刻印無し)1912年から熱に負けない頑強なガラスを製造すべく模索していたようです。ホウ素の酸化物を添加物として使用した硼珪酸ガラスを作り出しました。当初は「Pie-Right」あるいは「Py-Right」という名前で出荷していたようです。当時は透明なクリヤーガラスで、ミキシングボウル・パイプレート・カスタードカップ・キャセロールなどのキッチンツールが製造されました。1917年には科学薬品用ガラス製品にもパイレックス商標が導入されました。 またコーニング社は、多くのライバル企業との提携関係を持っていました。1918年頃から、J.Hoare&Companyは、PYREXガラス製品のエッチング(彫刻)工程を請け負っていました。1920年には、Fry Glass Companyが、ライセンスを受けてPYREX素材を使って「フライ・オーブン・グラス」というブランド品を生産することを認められました。1921年にはイギリスのJames A.Jobling and Co.Ltd.(JAJ)がライセンスを受けて生産を開始していますし、コレクタブル製品は日本の一部マニアにも人気があり、現在イギリス本国でも若者の間で人気が出ています。McKee Glass Companyとはやはり1921年に協定を結び、同社のグラスベイクブランドにパイレックスガラス材料を使用しています。同社はその後1936年に開発され1979年まで生産したFLAME WAREもライセンスを結びました。MacbethEvans Glass Companyを吸収合併したのは1936年のことですが、その後同ブランド品としてCremaxと呼ばれる食器類のラインを生産しています。日本では岩城硝子(株式会社岩城ハウスウェア)が1965年にライセンスを受けてイワキガラスブランドのキッチンツールに取り入れて現在も生産しています。 1939年にはガラス繊維を製造し、光学ガラスの自動生産が1944年に始まりました。また、テレビ受像管の自動生産および感光性ガラスは両方とも1947年に導入されました。1948年に完成した、カリフォルニア州にあるパロマー天文台(ヘール天文台)の天体望遠鏡(口径508センチ反射望遠鏡)のミラーも製造しましたが、200インチの研磨用ディスクの開発を含めて大変な作業だったようです。これは1931年に始められ1936年にやっと完成しましたが、重さ20トン以上で当時世界最大のガラスでした。 話が少しそれましたが、1943年頃にはガラスに着色コートしたものが出回るようになりました。Opal glassが開発されたのは1940年代後期〜1950年代中期頃で時期がはっきりしませんが、アメリカのガイド本によりますと、オパールグラス(白いミルクガラス)に着色コートしたものが1940年代の広告にオーブン&テーブルセットやリフリジレーターが掲載されているので、私は第二次世界大戦後1947年頃くらいには一般家庭に登場していたと考えています。それに大戦中はアメリカ軍が使用する食器として丈夫なものを試験開発してオパールグラス食器を提供していたようです。オパールグラスの、ミキシングボウルは1954年/シンデレラボウルは1958年、オパールグラスに着色コートした、bakewareシリーズは1955年/colorボウルシリーズは1956年に生産開始されました。 飛躍的にアイテムが増えたのは1950年代後半に入ってからで、1960年代には全盛期を迎えました。今日、広く知られて人気があるものはほとんどが1950年〜1960年代のもので、様々なプリントパターンが生まれたのもこのころです。Snow flakeシリーズが1957年、Bluedirdシリーズが1959年、Early Americanシリーズが1961年、terraシリーズが1964年、Rainbow Stripesシリーズが1965年、Americanaシリーズが1966年、New Dotシリーズが1967年に発売されています。 1970年代の終わりから1980年代に入るとパイレックスの刻印は消えてコーニングのみになります。その後、軽くてかさばらない現在のCORELLE コレール製に切り替わっていきました。 1983年に会長兼CEOに就任したJames R. Houghton(ジェームスRホートン)は、1989年にCorning Glass WorksからCorning Incorporated(コーニング株式会社)に社名変更し、通信業界向け光ファイバー、ケーブル、光通信接続機器類を始め、コンピュータ機器向け高性能ガラス、テレビスクリーン、情報端末ディスプレイ、半導体業界および化学分野などで使用される高純度合成石英ガラス、自動車業界向け特殊ガラスセラミック素材、理化学用実験器材など、先端技術を供給する世界有数のハイテク企業となりました。1998年に、自社の方向的・経営戦略的にそぐわないローテクノロジー的な分野であると判断したのか、食器製造・販売部門をBorden Inc.(ボーデン社は国際企業で、米国ボーデンを始め英国ボーデンなど世界中に関連企業多数で様々な工業製品家庭用品を製造する。日本ではレディーボーデンのアイスクリームやチーズがお馴染み)に売却し同社が新たに設立したWorld Kitchen Inc(ワールドキッチン社)で現在も続いています。 ※この文章にでてくる人名・社名・年代・出来事は、USAアンティークマーケット市・現地バイヤー・コレクターガイドなど数々の資料を基に私の記憶と拙い翻訳力と独断と偏見で纏めたものであります。日本国内で発行されている書籍や他サイトと一部食い違うところがございます。表記間違いがございましたらよろしくご指摘くださいますようお願い申し上げます |
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